おぢの日記

いままでのこと。いまからのこと

倒産まで。その1(続きからがおもしろいはず)

書こうどうか迷ったんやけど、もういいかなって思って。もう昔の話のやし。今日は音楽も聞かず真面目にかいてるw

 

実は僕2回倒産と1回の破産をしてるんですよ。

最初の破産は、身バレ覚悟でいいますが、そこそこ大きいネイルパーツ屋とラインストーンの販売、中国での製造会社です。年数も経ってるし、もうバレても債権者集会で納得して頂き、破産手続きもしてるので。申し訳なさは残っています。もちろん

 

もう少し詳しく書いとくと本店の会社名義は家内でした。家柄がよかったので(破産時は離婚が決まっていたのと家内はほぼ名義貸しなので倒産前に俺名義に代表取締役変更)

 

もともとは法人成り(個人から法人に変更すること)で税理士、公認会計士とも家内のほうが、銀行やら国金(国民金融公庫)から、お金を引っ張れるだろうというのと(本人も家柄もいい)自己資金が600しかなくて現物出資(現金ではない出資物)が200ではじました。

 

この家内がいっぱいいるのでどの家内?ってなるかもですが、一般より上の家柄で兄弟みんな大卒っていうくらいのおうちです。

 

そこで、融資が結局1200だったと思います。担当ではなかったので分らない。がまあ、そのくらいからはじめました。当時すごくブームで小売りも卸も売ってるところが少なく儲かりました。2年は額は言えないけど相当儲けました。例えだしたら、中国で1,2円で生産したものが卸で5円、その5円で仕入れたものが60円から200円くらい。

 

そこで、中国にも生産拠点を作ろうと当時の責任者にも任せてやっていて、僕はまったく無関与で大体のことしか正直知りません。ので書かないでおきます。原価1,2から2円とか値段とかしかしらず、どうゆう工程か知らない。その当時はまだ弟がアル中との病気ではなかったので、弟にいかせており私はわからない。

 

そこで、私自身の会社(家内と2つ)作ることにしました。私が中国の責任者と生産をさせる→その生産したものを私が家内の会社等に卸す→家内の会社は小売りする。こういう仕組みをつくったんです。

 

最初はうまくいきました。ここで天狗になっちゃったんです。俺は天才と。名分、躁鬱だったんでしょうね。中国でも日本車(当時は中国の日本車は高かった)を現金で3台、日本でも高級車2台を即金で買ったりともう狂ってました。(税務調査すぐきた)

 

その頃、東京のそこそこの一等地に小売店を出そうと下調べもたいしてせず、決めたんです。もうその頃は、うちを知らないところはないがライバルも多く売り上げも厳しくなってました。そうは言ってもテレビ局のドラマに使われる小道具とか毎日注文が入ってました。(有名人のコンサートとかで使われるキラキラしたマイクいうたら大体わかる?w)

 

売り上げがさがりだしたら、次は広告費で何百とかいま考えたら頭いっちゃってるwwそんな自転車操業的なことしたらだめなのとか気付かなかったんだろうなぁ。病気やったんかねえ

 

そこで、こじんまりするか他の商売をするか色々方法はあったと思うんですけど、売り上げさがっても突っぱねてやっていったら、中国の工場の問題で警察に忠告をうけて辞めることになったんです。

 

そこまで考えもしてなかった自分が悪いwwまた、最初の卸から買って販売するということになって売り上げが6分の1になりました。ここは、もうむっちゃ鬱になりました。

 

当時、日本人含む60人以上従業員がいて給料もやし維持できるんかって、馴染みの寿司屋で昼から20時まで当時の女と飲んでましたね。(会話はなしww)

ほんま、昭和の小さい工場のおっさんが日本酒のんだくれて落ち込んでるみたいな感じです。

 

続けていこうか思ったんですけど1600文字なので次回

間あけたら微妙になっちゃうんで、今日の夜遅くても明日あげます。

 

 

てか、まじばなバリバリ優しい方欲しいものリストからコメくれん?ww

 

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